DUB ROCKERS...
皆さんは、「Dub Rockers」というバンド名からどんな音を想像しますか?あるいは、期待しますか?

実験的なDub Sound ?
それとも、あの有名レゲエ・ミュージシャン総出演の痛快コメディ映画『Rockers』のサントラ盤のような音?

あるいは、オーガスタス・パブロ率いるロッカーズ・プロダクションのような音?

2006年の夏の終わり頃、、、
アフリカンのアンディのプロデュースによる三重の鳥羽での3日間にわたるレゲエ・イベントに呼ばれた時のこと。

海辺の会場へと降りて行く道すがら、"Drum Song"が聞こえてきた。
緑の丘と海とにマッチし、何かなつかしいような、すごくいいVibeだ。

70年代のジャメイカ、または80年代初期の日本のNatty Studioの時代にタイムスリップしたかのような、、
最近の軽薄で商業的なラガ・ポップ中心のジャパレゲ・バンドにはすっかり失われてしまった懐かしいあの香りがした。

行ってみると、Dub Rockersのリハーサルだった。

泊めてもらったGee Teaの実家のホテルで隣の部屋だったバンドだ。
初対面だったけど互いに何か通じ合うものがありライブで2曲程コラボらせていただくこととなった。
演ってみると非常にしっくりとはまって、やりやすかった。
互いに表現する世界が共通していることもあるのだろう。
それ以来、たびたびコラボらせてもらっているが、やるたびに成長し、うまくなっていることに驚かされる。

それは彼らのアルバムにもよく現れていて、バンドの名のごとくマニアックで実験的なDubに、
要約されたメッセージの断片のような言葉を散りばめた、1st ALBUM「DRASTIC」

70年代後半の本家ジャメイカのChannel OneのRevolutionariesのDubのごとく、
完成された様式美さえみせる2nd ALBUM「VITAL」

そして、各地でライブをこなすごとに客を圧倒し、新たなファンを会得していったこの2〜3年間の
ドキュメントともいえる2007 Green Massiveでのライブ盤と、アルバムを出すごとにバンドとして
急成長しているのがよくわかる。

白馬でのライブでのこと、
やんちゃで怖いもの知らずの地元の荒くれボーダーたちを「あのドラマーやべえ!」と震え上がらせびびらせた
Rebel Vibesを放つドラマー、そしてバンド・リーダーそれがJoe Iuraである。

彼のハートから叩き出されるドラム・サウンドは、無機質なコンピューターからは絶対に生まれ得ない
反骨精神に溢れていて、無鉄砲な悪ガキどもさえ怖じけ付かせる迫力がある。

Dub Rockersの音楽性は、すべて彼の生き様から来ていると言っていいだろう。

昨今、、不良のようにみえるけど、実はどこかのお金持ちのお坊ちゃんもなかなか多い今のジャパレゲ界において、
あこがれても最初から一般人の様な生き方を選択できなかった彼の出生については、
本人のブログ(profileページ)を参照してもらうとして、中途半端な生き方はしてこなかった彼の、
人よりもずいぶんと遠回りの人生がすべて肥やしとなり 今、甘く大きな果実を結ぼうとしているのだ。

「自分を信じて前を向いて歩こう。何を言われても決めていくのは自分さ」"Shanty Road"

半端なことはしてこなかったJoeの自信と重み、深さが人を引きつけるのだろう。

そして、「本当に大切なものを守るためなら、それほど大切でもないことは、いくらでも妥協する。
でないと前に進めないから。」という突進力と他者へのやさしさ、器の大きさが彼にはある。
求心力のある彼の周りには、彼に接することによりJoeの Vibeを吸収し、人としてのあり方、
生き方を学ぼうとする若者がたくさん集まる。
そんな若者たちをサポートするため、彼は「Wickie's」を立ち上げた。

別にプロ・ミュージシャン養成所ではない。そんな毒された考え方は彼はしていない。
医者として巣立っていく者もいれば、教師として育つ者も居たり、人それぞれの表現がそこにある。
ただ、半端ではない、後悔しない生き方を伝授するだけなのだ。
良いことも悪いことも自分の行動は自分で責任をとる。
良い種も悪い種も、捲いた種は自分で刈り取れ、
そんなレゲエのメッセージを地でいくだけなのだ。
Joeがリスペクトしている、ジョー山中氏も、そんな生き方をしてきた第一人者ではないだろうか。
バビロンに去勢されてバビロンの中で成功するより、自分の生き方は貫く、責任を持って。

できれば道徳の教師や警察官になりたかったというJoeは、夢は叶わなかったけれど、今、音楽を通して
Vibeを放つことによって人々に伝えているのだ。
そして、押しつけがましくうざったい道徳の教師の説教なんて見向きもしない不良どもさえ、
彼のVibeには素直に耳を傾ける。

たとえ良い種でも、悪い土地に植えると枯れてしまう
たとえ良い土地でも、悪い種だと悪い実しか育たない
人も植物と同じで、その人にあった時と場所がある

Joeも現在のメンバーに固まるまで、7年かかったという。


紅一点のアリア
ドレッドロックスのよく似合うかわいらしい彼女が、ステージの上ではボーカル、キーボードの他に
なんとミニ・ミキサーを持ち込みDub Mixまでしてしまう。
初めてみた人はDub処理がステージの上で行われていることにどきもを抜かれる。
しかもそれをしているのが可憐な女性、しかもひとり3役の大活躍となると、ひときわ目を引く。
Dub Mixという裏方作業を、初めてスポットライトのあたるフロントに引っぱり出した功績は大きい。
まだマニアックであまり社会に認知されてないDub Muzikが世間一般に広く知れ渡るのも時間の問題だろう。

もちろん彼女のボーカルには華があり、バックのDubに負けないくらい力強く、そして優しい。
3rdアルバムに納められたラブ・ソング2曲は彼女をシンガーとしてオーバーグラウンドに浮上させるだろう。
作者のJoeは狙って作った曲だと言ってはいたが、現地北九州の、のどかな田舎の海岸に行ってみると、
実はここののんびりした風景そのまんまだと気付かされる。

ローカルでアイタルな生活からしか生まれ得ない、自然とわき出た曲。
作り物ではない、生活からにじみ出た真実の曲。
そしてそれこそが僕たちがレゲエに惹かれる一番の理由だろう。
お金のために取引をした曲ではなく、Pureなハートから生まれた曲がそこにはある。


ダブ・アレンジが巧みで、ここぞというところに、欲しい音が入る。
スネアのリバーブとカット・ギターのエコーが重なってしまって、お互いをつぶしあうなんてこともなく、
互いに相手を引き立てあうツボをこころえている。
これは簡単のようでけっこう難しいことなのだ。
反響音、残響音を聞かせたい時に、他の音が割り込んでしまうと、すべてが台無しになる。
音の隙間をつくる、人の出す音を聞き、音を抜くことも大切なダブ・プレイである。
人数だけ多くてもいいダブ・バンドとはならない。
一人3役、一人2役のできる精鋭が作り出す、ツボをこころえた有機的なDubは時を忘れるほど気持ちいい。

 
最後にふれておきたいことは、彼らのいかにもレゲエっぽいスタンスだろう。
毒にも薬にもならない去勢された作品を作って全国制覇、
あるいはメジャーポップシンガーのバッキング・バンドに落ち着くなんて野暮なことは、ハナから考えていない。

魂までは売り渡さない。

あくまで本拠地はローカルな北九州におき、 アイタルな生活を貫くことによって、Jahからのインスピレーションを得て曲にする。
それも自前のスタジオで自分たちでミキシングまでこなし、インディーズレーベルからリリースする。
そんな彼らのローカルなスタンスが最高に現れた曲が、地元芦屋町をうたった「I LOVE "ASIYA"」だ。

彼等は知っている。
ローカルがグローバルに飲み込まれようとしている現代において、ローカルを際立たせることが
グローバリズムに対抗する唯一の道だということを。

できれば今のローカルスタンスのまま、オーバーグラウンドで活躍し、
音楽業界を圧倒して欲しい。

このバンドにはそれができると信じている。

Papa I-ya Bonz [Roots Studio]